北前船で栄えた湊町 酒田
2018.12.25江戸時代、酒田をはじめとする日本海の港や北海道の港から江戸や大阪に、米や魚、特産物などが船で運ばれていました。
船は津軽海峡を通り江戸へ向かう東廻り航路と瀬戸内海を通って大阪、江戸へ向かう西廻りの航路があり、西廻りの航路を走る船を北前船と呼ぶようになりました。東廻りの航路では太平洋側を北へ向かう黒潮の流れに逆らって進む必要があるため、西廻りの航路の方が荷物を安く運べ盛んに利用され、酒田は北前船の寄港地として「日本の中心!?」と言われるほど繁栄した歴史が随所に残っています。2018年9月29日放映の「ブラタモリ」でも取り上げられました!
各地の特産品を売買しながら日本海を航海した「北前船」を見に行こう
また、北前船は「米を1千石(150トンの米)積むことができる大きさ」という意味から千石船ともよばれていました。北前船史上最大の船は2400石も積むことができ、巨大な帆1枚で逆風でも進むことができる、優れた帆走性能のある船です。
北前船の国内最大1/2スケールの模型船が日和山公園で見ることができます!
日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間 ~北前船寄港地・船主集落~」
日本海や瀬戸内海沿岸には、山を風景の一部に取り込む港町が点々とみられます。そこには、港に通じる小路が随所に走り、通りには広大な商家や豪壮な船主屋敷が建っています。また、社寺には奉納された船の絵馬や模型が残り、京など遠方に起源がある祭礼が行われ、節回しの似た民謡が唄われています。これらの港町は、荒波を越え、動く総合商社として巨万の富を生み、各地に繁栄をもたらした北前船の寄港地・船主集落で、時を重ねて彩られた異空間として今も人々を惹きつけてやみません。(申請書ストーリー概要より引用)
一攫千金の北前船ドリーム
武士が頂点の身分制度がある時代でもチャンスをつかむことのできる可能性は、まさに北前船ドリーム。
多くの遭難記録が残されていますが「夢」を追う船乗りは絶えることはなく、成功者の功績と繁栄の足跡を庄内地域のなかでも特に酒田市内のいたるところで目にすることができます。
井原西鶴の「日本永代蔵」に「北の国一番の米商人」と描かれた鐙屋や、日本一の大地主になった本間家の功績をたどるコースはいかがでしょうか。
文化も運んできた北前船
酒田においては米以外に紅花を積み、帰りの荷には、その紅花で染められた雛人形や京友禅などの京の文化を運んできました。
「紅一升金一升」といわれるほど高値で取引され、一級品として名を馳せた出羽の紅花は、お米と並び酒田の商人に多大な富を築いたといわれています。
紅花染は酒田市の民工芸品として有名です。
由緒ある雛人形を一斉展示
酒田の豪商たちは競って京都から豪華なお雛さまを買い、北前船の帰り荷に積みんだことから人形の数、質においては他の地域を圧倒する雛人形が酒田の旧家に残され保管されています。
酒田市や隣接する鶴岡市などで、毎年2月下旬から4月上旬まで、江戸初期からのお雛さまを20数カ所の観光施設等で一斉展示する「庄内雛街道」を開催しています。
北前船で富を築いた豪商達も愛した酒田を代表する料亭「相馬屋」
酒田舞娘の艶やかな踊り
北前船による京都との往来により、酒田の町には京都(上方)文化が育まれ、舞娘たちが競って芸に磨きをかけ酒田の花柳界は、江戸や上方にも知られるほどになりました。
ここ「相馬樓」ではその酒田舞娘の艶やかな踊りを楽しむことができます。
北前船の繁栄から誕生した「酒田祭り」
酒田は町人が中心となる、他の地域とは異なる自由の気風が溢れる町と言えます。
そして、その豪商たちが意地と粋を見せ、町に利益を返したのが、現代でも盛大に行われる「酒田祭り」です。