【観光の舞台裏vol.2】舞娘茶屋「相馬樓」芸妓 小鈴

2020.10.30

庄内の観光に携わる“人”にフォーカスして、その舞台裏をインタビューする「観光の舞台裏」シリーズ。第二回目の舞台は、舞娘の踊りやお食事*を楽しめる観光スポット「相馬樓」です。

相馬樓の前身は、江戸時代から200年続いた酒田を代表する料亭「相馬屋」。平成7年(1995年)に閉店した翌年の平成8年(1996年)、国の登録無形文化財に指定され、平成12年(2000年)に「舞娘茶屋 相馬樓」として新たに産声をあげました。

庄内きっての人気観光地としてたくさんの方々を魅了し続ける相馬樓ですが、この相馬樓の人気を支えるのは、何と言っても“酒田舞娘”の存在です。

北前船の往来で栄えていた当時、酒田には約150人の芸妓や半玉がいたものの、次第に減少。その後1990年に町おこしの一環として「舞娘さん制度」が創られ、“酒田舞娘”として復活し、現在はここ相馬樓を拠点に演舞を披露しています。
今回は、自らも地方(読み=じかた、伴奏)として演舞を支えるほか、酒田舞娘の育成も担う、芸妓の小鈴さんにお話を伺いました。

* 2020年10月現在、新型コロナウイルス感染防止対策のためお食事の提供は休止中。

幼くして芸事の世界へ

  • 舞娘時代(小鈴さん提供)

民謡の講師の資格を持ち芸事が好きだった母親の影響で、幼い頃から常に芸事の世界が身近にあった小鈴さん。

10歳の頃、青森から酒田に教えにきていた津軽三味線の先生のもとで稽古をはじめ、本格的に芸事の世界に足を踏み入れる。才能を見込まれた彼女は、高校卒業と同時にそのまま青森の先生のもとへ弟子入りすることに。しかし半年ほどで体調を崩し、やむなく地元酒田へ戻ることとなる。

それから数年経った平成4年(1992年)、知人から「芸事を仕事にできる会社がある」と声をかけられる。それが、地元の経済人が中心になり平成2年(1990年)に立ち上げた、舞娘を育て派遣する会社・港都(こうと)振興株式会社だった。

その時初めて舞娘という存在を知ったというほど舞娘に対して憧れもイメージもなかった彼女だったが、これまでの芸事の経歴を買われ即採用。第三期生として入社することとなった。

華やかさの裏側

  • 相馬樓 舞娘演舞風景

「おうちに帰ったら、トイレまで床に這って行っていました。」

華やかに見える舞娘の世界だが、これまで踊りは本格的にやってこなかったという小鈴さんにとって、舞娘になるための稽古は壮絶なものだったという。
それでも三味線や民謡で鍛えられた感覚でメキメキと腕を上げ、通常三ヶ月はかかるところ史上最速の三週間で舞娘デビューを飾ったのだった。

当時の酒田舞娘は“OL舞娘”として全国のメディアにも取り上げられ、酒田市のマスコット的存在として様々な場所に引っ張りだこ状態。デビューはしたものの、あまりの忙しさに半年間ほどはずっと辞めたかったという。

ある日耐えかねてそれを先輩舞娘に話したところ「そんなに苦しかったら、辞めてもいいんだよ」と言われる。自分が辞めたら先輩たちがもっと大変になると思い、それから7年後の平成11年(1999年)に引退をすると決意するまで、辞めたいと口にすることはなくなった。

相馬樓のオープンと受け継いだ“バトン”

  • 相馬樓外観

平成12年(2000年)には港都(こうと)振興株式会社の事業は株式会社平田牧場に継承され、同年「舞娘茶屋 相馬樓」もオープン。前年に引退し退職していた小鈴さんだったが、先輩後輩に手伝いをお願いされ断りきれず、今度は一個人の芸妓として芸事の世界に復帰する。

着付けにヘアセットなど、座敷に上がれば上がるほどお金がかかる芸事の世界。引退後に始めていた司会業の仕事で稼いだお金で芸妓をやるという、二足の草鞋の生活が続いた。

大きな転機は6年前の平成26年(2014年)。酒田舞娘の礎を築いた方であり、小鈴さん自身も舞娘時代からお世話になっていた師匠が、病に倒れたのだ。ちょうど司会の仕事も辞めて芸事に専念しようと決意し、日本舞踊における五大流派の一つである藤間流師範を取得した矢先のことだった。

「これで自分が辞めると言ったら、次の世代に引き継ぐ人がいなくなって本当に全て終わってしまう。この伝統を残していきたい。」

いよいよ“自分に大きなバトンが回ってきた”と感じ、本格的に後輩の育成を始める。

舞娘たちの指導はもちろんのこと、今まで“耳伝え・口伝え”だったものを自ら譜面に起こすなど、効率的かつ普遍的に指導ができる土台づくりを始めた。

自分だけの意志でいろいろと広げる事は、人手不足、金銭上の問題から難しい。しかし、今のやり方のどこを変えたらいいかということは、長年やってみた自分だからからこそわかることが多い。
結局は一つずつ丁寧に階段を上がるしか方法はないと感じ、2年前の平成30年(2018年)には学生を対象に日本舞踊、着物の着付けや礼儀作法などを教える『花柳界伝承舎「酒田 小鈴」』もオープンした。

舞娘見習いたちの“母”として

現在の教室の生徒は高校生4名、中学生1名の計5名。最近は赤の他人と接する機会、ましてや他人に怒られることもない子どもが多く、まず“人からものを教えてもらう姿勢”ができるまでに1年かかることもザラだという。
それでも少しずつ変化を見せる子どもたちの姿に、手応えを感じつつある。

「以前、どんなに指導しても暖簾に腕押しといった感じであまり反応がない生徒がいました。しかし、何年目かの母の日に、その子が母の日のプレゼントをくれたんです。嬉しくて、涙が出ました。」

最初からやらせないのではなく、まずやらせる。もし失敗をした時には、その時どうすればいいか教える。まるで本当の母親のように一人一人と向き合う小鈴さんの姿に、子どもたちも心動かされたのだろう。そううかがえるエピソードだった。

酒田舞娘の伝統を残していくために

小鈴さんの今後の目標は、コンスタントに回していけるシステムを作ること。そして最終的には、寄付金や社員としてのお給料に頼るのではなく、舞娘が商売として成り立つようにしていかなければならないという危機感を持つ。

「口でだけかっこいい事を言っても実際は経済力がなければ何もできないと思い知る30年弱の時間でした。だから、相馬樓への集客アップはもちろんの課題ですし、お客さまに“お金を出しても見たい”と思ってもらえるものを提供しつづけなければいけない。そのためにも、清く正しく美しく、多方面で活躍する力と根性のある舞娘さんを育てていきたいです。

そうすることが、酒田市民の皆様や行政の方々、そして酒田舞娘を創り可愛がってくださった平田牧場新田会長をはじめとする市の経済界の皆様やお師匠さんへのご恩返しだと思っています。」

現役の芸妓として、指導者として、そして、舞娘たちの母として。何足もの草鞋を履きながら、今日も彼女は酒田の花街を駆け回る。


【施設情報】
施設名:舞娘茶屋 相馬樓/竹久夢二美術館
住所:〒998-0037 山形県酒田市日吉町1丁目2−20
アクセス:酒田駅より車で約5分
電話:0234-21-2310
入館料(演舞チケット):大人1,800円、中高生・大学生1,000円、小学生以下無料
駐車場:あり
駐車料金:無料
時間:10:00〜16:00 (最終入館15:30)
定休日:水曜日

※2020年10月現在、新型コロナウイルス感染防止のため完全予約制・舞娘演舞のみの開樓となっております。詳細につきましては直接施設までお問い合わせください。

<ライター紹介>

地元ライター:國本 美鈴(くにもと みすず)
埼玉県深谷市出身。早稲田大学国際教養学部卒業後、都内の情報・通信系企業にて新規事業立ち上げやメディアの編成・PR等を担当したのち、2019年7月〜庄内に移住。現在、庄内町地域起こし協力隊観光PR担当として、イベントの企画やSNS等を活用した地域の情報発信などを行うほか、北庄内地域通訳案内士の資格も持つ。これまで訪問した国は45カ国という大の旅好き。庄内の魅力を県内外、そして海外の人にも発信すべく奮闘中!

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